お坊さんも労使交渉
昔知り合いのお坊さんがいいました。
「そのうち坊さんになるやつなんていなくなるぞ。きまった休みもない。夜中であろうとたたき起こされる。自分を殺して人の心を支えるのもきついからなあ・・」
しみじみとかたっていらっしゃいました。否定できません。
しかし、しかし、「労使交渉」。
なんじゃこりゃ?というのが第一印象です。
当事者ではないので分からない部分が多いのですが・・・。でもなあ。
料金表があって、労働としての「お経」の対価としてお布施をもらっている考え方が根底にあるのでしょうか。修行という考え方はどの程度あるのでしょうか。やはり労働力を提供する場所でしかないのでしょうか。仏教を語るのも、その対価の結果としてしかできないのでしょうか。
いずれにしても内部のもめごとを対話で解決できなかったのでしょうね。しかし外部の権威に頼らなければ解決できないのであるならば、「共生」である仏教の思想そのものを仏教に一番近い存在が否定してしまっているのではないでしょうか。
あわれなのは信者さん。信仰をもたらしてくれる場所から響いてくるきしみにどうすればいいのか。現実的な、とてもシビアなきしみです。ですが私が僧侶をしていられるのは、そんな信者さんとのふれあいがあるからです。お寺という建物の単なる管理者ではありません。信者さんたちとともに歩く者です。導いているようで導かれる者です。お布施はお金だけではありません。
お坊さんも労働者かあ・・・うーーーん。やめといたら?
http://news.goo.ne.jp/news/yomiuri/shakai/20060211/20060211it04-yol.html
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