家の下は弥生遺跡
この話を聞いたのはまだ秋くらいだったでしょうか。毎月お伺いする檀家さんの仏間からのぞく風景はいつも大きなお屋敷の蔵でした。あれよあれよという間に大きな家は取り壊されて、広い更地になりました。でも工事がある日とまりました。
「遺跡がでてきたんですね」
遺跡?そういえばこのお屋敷跡から百メートルくらいはなれたところのおうちが建て直されるときも、平安時代の住居跡がでてきたなあ。子供たちと見せてもらいにいったのが思い出されます。
「もっとふるいみたいですよ。弥生だとかいってましたね」
「ここは玉ノ井遺跡とかいうんですね。もうちょっと北にあがると高蔵貝塚もあるし。この斜面のすぐ下は当時は海だったそうですから。暮らしやすい丘陵地だったんでしょうね」
そういえば熱田神宮も海から見て小高い丘ー亀の甲羅にみえたそうです。蓬莱島ともいわれたそうですね。熱田神宮の南西、伝馬町にあるお寺、正覚寺さんも「亀足山」という山号なのはそこからなのかしらん。海を渡ってくる船人にとっては、ぽっかりと海に浮かんでみえたこの熱田の杜がとてもたのもしいものだったでしょう。
「だいぶ広い敷地にまたがっているみたいですよ。大勢の人が住んでいたんでしょうね。暮らしやすくないと人はあつまらないですからね」
この家の下も遺跡ですか?
「立て直したときは気がつかなかったですが・・。でもそうでしょうね。不思議な気持ちです。大勢の人がここで泣き笑いしてたんでしょうね。歴史ってこんなに身近なんですね」
熱田は大勢の人が集まっては去っていった土地です。源頼朝が生まれ、織田信長が馬でかけまわり、幼き徳川家康が幽居していた場所です。神話ではヤマトタケルが死してなお白鳥に姿を変えて別れのあいさつにきた場所でもあります。悲しい別れも懐かしい思い出、そして歴史の一ページ。
「でもあまり生活の道具がでてこないみたいですよ。もちろん陶片は少し出てるみたいですが。みんなどっかに移り住んでいったんですかね。でもなんとなくうれしいですよ。突然の別れが押し寄せたんじゃないという気がして。ちゃんとお別れできたんでしょうね」
仏檀に飾られた奥さんの写真がほほえんでいらっしゃるような気がしました。もうすぐ初彼岸です。
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