2007年11月 8日 (木)

火葬船

ついに動き出したようですね。火葬船構想。

http://www.nippon-foundation.or.jp/org/press/2007/08102.html

2年前にある宗派の講演会を聴講したときに、この話が葬儀業態の近未来予測としてあげられていました。最初は東京はそれほど火葬場不足なのかと驚いていたのですが、現在「直葬」という葬儀形式が現実のものになっている事を考えると、実現がまちこがれるというのも理解できます。

また海に向かってお別れを告げるというのは、海の民としての日本人になにか問いかけるもののような気がしてなりません。

実現したら名古屋でも就役するのでしょうか。 16ddh

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2007年11月 2日 (金)

ありがとうございました

お葬儀がございました。

お寺にいままでご縁が無い方のお葬儀の御依頼は都市では珍しいことではありません。ご遺族ご本人が直接お寺に電話をかけてこられる方や、ご遺族から依頼された葬儀会社さんからも依頼があります。

お宅のお寺は○○宗ですか?

ちがいますよ。

近くにありますかね?

仏教会名簿を見てお教えするのですが、宗派が一緒だといわれてお伺いしても「?」を依頼主と私どもで持ってしまうことも少なくありません。

お経の節が地域によって違うんですねえ。同じ文章でも大分印象が異なってしまうので混乱してしまうのです。もちろん宗派の勘違いもありますよ。

逆に「仏教ならどこでもかまいません」というお声もよく聞くようになりました。

そういわれる御施主さんの理由はいろいろあるでしょう。

理由はお聞きしないようにしていますが、数日間お目にかかっているうちに、押さえきれない思いを語り出される方もいらっしゃいます。そのときはただただお聞きするばかりです。そのような御施主さんたちは、遺族として道を選び、運命を受け容れようと努力していらっしゃる方が少なくないです。

親しい人を送る悲しさには変わりはないですが、ひそやかにおくろうとされていらっしゃる方々は、また別の色彩があります。

どなたも参列されないお葬儀も少なくありません。御施主さんが棺の前で靜かに座っていらっしゃる姿は、荘厳ですらあります。でも、訪ねて来られた方がおひとりでもあるとき・・・泣き崩れてしまった方を見たことがあります。

昨日依頼された方も「宗派」を選択された方ではありませんでした。

おねがいします

頭を靜かに下げられました。

枕経、お通夜、葬儀告別式・・・

目を真っ赤に腫らしていらっしゃいましたが、人前では決して泣いてはいらっしゃいませんでした。

霊柩車に納められたとき、御施主さんが参列のみなさんにいわれました。

家内は幸せです。すべてがいきあたりばったりで、病院も葬儀屋さんもお寺さんも初めてあった方ばかりだったのに、こんなにあったかくすごさせていただくことができました。これが家内が望んでいたお別れなんだと思います。本当にありがとうございました。

きれいな青空がひろがっていました。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年2月 3日 (土)

いのちはつむぐもの

悲しい事件が日々つづいています。

あなたはこの世にひとりしかいません。

あなたを傷つける人もいるでしょう。

でもあなたを愛してる人も必ずいるのです。

あなたの気づいていないところに。

死なないで下さい。生きて下さい。

P1010854_1

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年2月 1日 (木)

直葬

「直葬」という言葉を初めて目にしました。

今日2月1日発行の毎日日新聞の中の「暮らしの中の宗教」にとりあげられていた、葬儀のスタイルのことです。

新聞記事によれば、

「死亡が確認された病院から火葬場に遺体を直接運び、死後24時間経過後、火葬する」

死亡場所から火葬場へ直行する仕方のことを「直葬」というのだそうです。

実はいままで私もそのような形式になんどかたちあったことがありました。病院の霊安室で、お葬式をしたこともあります。なくなっていらっしゃるその場所で棺に納める前にお葬式をさせてもらったこともあります。ですが、どちらかといえば、それらは緊急避難的な葬儀であり、イレギュラーな形式でした。そして「直葬」という表現を使うことがなかった、いや言葉すらなかったので、このような名称がつくほど一般的になっているのかということに驚きととまどいをかくせません。

記事の中だと「予想以上に直葬を望む遺族が増えている。葬儀社としては収益が少ないため歓迎できない傾向だが、今後5年以内に依頼件数の3割以上は直葬になるだろう」と、述べられています。

最近、名古屋市の無宗教葬についてすこし調べたことがあります。実感として全体の5パーセントほどかなという印象でした。同時期に横浜では20パーセントになんなんとしているという報告を読みました。この無宗教葬はキリストも仏教でもない、お別れの会といった形式で、参列者を大勢招くこともあります。一方で身内だけでおくるけれども宗教者をよんで行う「家族葬」というのもあります。前者は宗教へのアンチテーゼであり、後者は経済へのチャレンジでした。しかしいずれも、死者を特定の場所に安置し、そこで皆で忍び、泣き、笑い、ひとときを共有したいという意識にあふれたものです。

ついに曲がり角に来てしまったのか・・という思いがあります。昨年、名古屋市内のある葬儀会社さんが葬儀式告別式もすべてなくして「火葬場でのおまいり」だけに特化したプランをHPで発表していたのに驚いていた私としては、くるべきものがきたという感じです。

冒頭のお葬式も、通常のお葬式以上に気を遣い、気が張ったお葬式でした。しかしそこに居合わせたすべての人のすがるようなまなざしが忘れられません。わずか数時間でしたが、印象的なお葬式でした。

しかし、・・・・葬式仏教にもなれない仏教ですか・・・。

いやいや、いかに語るかが大事になっていきますね。いっそう襟を正さなくては。これからの連載が楽しみです。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年12月15日 (金)

HIV

昨日、ある人とお話ししたときに、HIV感染者になるのと、c型肝炎になるのとどっちが深刻だろうか、とでてきました。即刻、肝炎もHIVも大変な病気だけど、感染の仕方によっては、すべてを失う、と答えました。

以前、HIV感染で多臓器不全で亡くなられた方をお寺でお迎えしたことがあります。付き添いの方は、特殊自動車と担当の葬儀社の方以外誰もいませんでした。

 ー 身内は?

 ー いらっしゃいますけど、お骨の受け取りも拒否していらっしゃいます。

近くに住んでいらっしゃることがわかりましたが、それ以上私もなにもいいませんでした。

荷物はボストンバック1個。中には少ない衣料品と、岩波新書が3冊。

棺の中に納めてあげました。

彼も苦しかったと思いますが、家族も苦しいのです。誰が悪いのでしょう。

ひとときの快楽と引き替えにするにはあまりにも悲しい結末です。

今、日本中で何人の方がこのような結末をむかえていらっしゃるのでしょうか。

オレの人生だから、私の人生だから・・・といいますが、その尻ぬぐいをするのは自分自身です。そして人間はそんなに強くないです。すがれる相手を失うとき、それが絶望です。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年11月23日 (木)

名古屋市博物館の五重塔

名古屋市博物館に行ってきました。

夕方近くになってから時間があると思って、天台宗の展覧会に駆け込んできました。

チケットを知人からもらっていたこともあるのですが、内容はなかなか興味深いものが多く、大勢の人でにぎわっていました。若い方の姿が多かったような気がします。なかなか天台宗のお寺とご縁がないんですよね。十一面観音が多いのが印象的でした。それにお薬師さんも。

充実した内容の展示を後にして、売店に向かいました。どんどんきれいになってきているのでうれしいです。それと博物館の自主企画の本も充実しているので、驚きです。努力を感じさせて頂けます。

その売店を曲がって奥に行くと、五重塔の立派な模型があります。

八事興正寺さんの五重塔です。

一時期、飾られていなかったのですが、最近またこの位置に復活しましたね。開館すぐに飾られていたものだと思います。

この模型をつくった人を知っています。

中島寿勝さんといいます。

かなりの腕をおもちのかただったそうです。五重塔を納めたときは絶頂の時だったといっていらっしゃいました。しかし脳梗塞で運命がかわりました。すべてがくずれていったといっていらっしゃいました。でも目も開いていったと。

お寺にはどうしたきっかけでこられるようになったか・・・。朝がゆ会のポスターを見て、参加してもいいかと聞かれたのが始まりのような気がします。うちにこられているときはいつもにこにこと、お説教のときも大きくうなずかれていらっしゃる姿が印象的でした。

何年目の夏だったでしょうか。あるとき、おっさん、うちにおまいりにきてくれんかといわれました。ずっとおきょうさんをあげてもらっていないんでなあ。

おうかがいすると、あらけずりですが、左手の彫刻が床の間においてありました。そしてそこに自分の戒名と、博物館で除幕式をしているときの写真が飾ってありました。

その時初めて知ったのです。この人があの精緻な模型をつくった人だということに。

いやな人間だったんですわ。だからばちがあたったんです。でもそのばちで目を覚ませてもろうたんです。不思議なもんです。ある時には気がつかず、気がついたときにはみんななくしてしまっておる。家族も・・・です。だからせめて世間様に恩返ししなけりゃならんとおもって、不老会に登録してあるんだ。献体するんだ・・・。

毎月おまいりにお伺いして、いつもいろんな話を聞かしてくれました。

しかしある時、電話がかかってきました。

入院しなければならなくなった。また電話するから、退院したらおまいりしてな・・。

それが最後でした。様子を見に行っても玄関はいつもぴったりと閉められていました。不安な気持ちがよぎりましたが、平成十六年の十一月、地蔵堂の落慶法要の時に、よろよろと杖をつきながら、お友達とやってきてくれました。

苦しかったと思いますが、顔をくちゃくちゃにして、わがことのようによろこんでくれました。

おめでとう、おめでとうなあ・・・。

それがお目にかかった最後でした。

ある日の深夜、電話がかかってきました。

おっさん、申し訳ないけど、どうしてもおひとり迎え入れてやってくれませんか。身寄りがあるんですが、不老会でお葬儀をされるということで、出棺までなんですけど・・・。

そのとき、うちのお寺も朝がゆ会の準備やら、他の方のお葬儀やら法事やらで何故か部屋があいていなかったのです。あいているのは地蔵堂だけです。いままで地蔵堂でお葬式をしたことはないけど・・・。いいじゃない、あけてあけようや。住職が言われて、準備します。スロープの下に搬送車が到着します。ご遺体を運び上げるお手伝いをします。やせた人だなあ。地蔵堂に安置して、お経をあげてそう思いました。

その人が、中島さんだったのです。

それを知ったのは朝が来て、駆けつけたご家族によってでした。お寺のものは皆驚いてしまって・・・。ちょうど朝がゆ会があって、すぐに皆さんにおしらせすることになりました。

ええ?中島さんが?地蔵堂にいらっしゃるの?

ご家族の方も皆さんおあつまりいただいた中でのおまいりでした。

どうしてこんなことが起きたのでしょう?今でも不思議です。ただ、ただ、中島さんは来たかったんだろうなあと思うのです。息子さんたちが見送る中、霊柩車は音を鳴らして出発します。

献体が終わられて、お骨になられて、今はまだお寺の納骨堂にいらっしゃいます。ご家族もおまいりにおいでになっていらっしゃいます。

中島さん、今日も大勢の人があなたの五重塔のまわりにいらっしゃいましたよ。

南無阿弥陀仏。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2006年11月 1日 (水)

平成19年の年回表

平成19年の年回表です。

ご参照ください。この年回表に当たる霊位を忍びましょう。

 一      周 忌  平成 十 八  年 (2006) 丙 戌
 三      回 忌  平成 十 七  年 (2005) 乙 酉
 七      回 忌  平成 十 三  年 (2001) 辛 巳
 十 三 回  忌  平成   七   年 (1995) 乙 亥
 十 七 回  忌  平成   三   年 (1991) 辛 未
 二十三 回  忌  昭和 六 十  年 (1985) 乙 丑
 二十五 回  忌  昭和 五十八年 (1983) 癸 亥
 二十七 回  忌  昭和 五十六年 (1981) 辛 酉
 三十三 回  忌  昭和 五 十  年 (1975) 乙 卯
 三十七 回  忌  昭和 四十六年 (1971) 辛 亥
 四十三 回  忌  昭和 四 十  年 (1965) 乙 巳
 四十七 回  忌  昭和 三十六年 (1961) 辛 丑
 五  十  回 忌  昭和 三十三年 (1958) 戊 戌
 百      回 忌  明治 四十一年 (1908) 戊 申

平成19年有縁霊位追善供養の為に同唱十念

南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏

| | コメント (1) | トラックバック (1)

2006年4月 5日 (水)

お星様になったの?

火葬場についてからのお参りは時間があまりありません。

名古屋の火葬場は八事にしかなく、200万名古屋市民の最後のお別れの場所になっています。現在では火葬場の能力を超えそうなこともおおく、職員の方はてんてこまいです。それこそ時間帯によっては荼毘のお経がこんがらがるくらいに重なり合ってしまいます。しかし、最後のお別れの場所です。職員の方々も、棺を炉に納められるときは深々と一礼し、遺族にも重ねて一礼されます。私も心を引き締めてお経をあげさせていただいております。

時間があまりないことを承知で、職員や担当の方々にご迷惑をかけることを承知で、いつもお経の後に、見送りにこられた皆さんにお話をさせていただいております。そんなたいした話ではありません。お別れができることに感謝しましょうという内容です。

あるとき、おじいちゃんを見送りにきたお孫さんがいらっしゃいました。小学2年生と年長さんです。この二人はお葬式の時からとても静かに手を合わせていました。また子供らしくにこにことはしゃいでいる姿は、遺族に笑顔をくれていました。炉に炎が入った印の赤ランプが点灯したとき、2年生のボクがいいました。「おじいちゃん空にのぼるの?」ふりかえると年長さんのおじょうちゃんが「お星様になれるのかな?おばあちゃんとあえてるかな」

もちろんだよ。おじいちゃんのからだはねこの空いっぱいに広がってね、風にのってくるくる地球をひとまわりだよ。地球をまわるのにあきたら、お空の上に昇ってね、お星様になっていくんだよ。いつでも光ってボク達をみてるからね。もちろんおばあちゃんと一緒にね。よかったねおじいちゃん、おばあちゃんにあえるね。

ボク達はにっこり笑ってくれました。おじいちゃんは満足でしょうね。こんな優しいお孫さん達と晩年を一緒に過ごすことができて。棺の上に飾られていたお花に添えられていた名前はこのボク達の名前でした。身体は消えても、こころは残ります。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年2月13日 (月)

小さな子

今日枕経にいってきました。葬儀会館の一室で家族だけでお経とお別れの儀式をして、心構えなどのお話をさせていただきました。それではこれで、とその部屋の扉をあけて外をみると、黒い服を着た方々がおおぜいたっていらっしゃいます。

しまったと思いました。

2階でやっていたお葬儀の出棺の時間にかさなってしまったのです。突然でてきた僧侶の姿になにやらみなさんとまどわれていらっしゃるのがいやというほどわかります。とまどっているのはこちらも一緒です。はやく退散しなければ、棺がおりてこられます。とにかく、すぐそばの事務室にかけこみました。

出棺いまからですか?ええそうですけど、でもだいぶ時間がかかってますねえ。

会館の方がつぶやかれます。

2才の子なんですよ。うちのこと同い年ですね。お別れに時間をかけているんではないでしょうか。

小さな子の葬儀はつらいです。

そのやるせない悲しみがわかるから。

いままでに何回そんな子のお別れに立ち会ったか分かりません。あるお母さんは、お通夜がおわるまで、我が子をだきしめたままでした。無表情で温め続けていました。あるお母さんはミニカーで棺の周りを飾ってあげていました。今も仏壇の中にミニカーが飾られています。あるお父さんは思い出を絵本にしました。夜中に起きて泣くことが減ったそうです。ののしりあって壊れてしまう夫婦もいます。でもそんな姿を誰ももとめていません。心ない言葉で人に会えなくなった奥さんを必死で支える旦那さんの姿も見せてもらいました。必死でこのときをこらえている夫婦を無言で支えるよき親族、わざとおどける友人、知人の姿も見せてもらいました。

私たちは、その人たちの前に立ち、その子の棺をまもるように鉦をたたきながら前にすすみます。ごくろうさま、よくきてくれたね、もういいんだよ、まっすぐお浄土におかえり。

ある家族は引っ越していき、ある家族は新しい家族を迎え、ある家族はこわれてしまいました。でもみんな今も一生懸命生きていることを祈っています。小さな子は笑顔を与えるために生まれてきたのですから。その投げかけに応えなければなりません。

ようやく棺が降りてきたようです。会館の人が、お父さんとお母さんが二人でお連れしてるね。大勢の人がいるのに、誰もしゃべりません。

霊柩車の警笛が軽く鳴ります。

合掌 

またおいでね。こんどはもっとながく笑顔をみせてね。またね・・・

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2006年1月29日 (日)

尊敬するお坊さんへ

昨日信じられない知らせがとどきました。

宗派はちがいますが、尊敬するお坊さんの突然の訃報でした。享年47才。

その活動は宗派にとどまらず、さまざまな宗教をまとめたイベントのリーダーとしても、また近年はバチカンとの交流にも大いに実力を発揮していらっしゃいました。昨年電話で話したのが最後となったことがくやまれます。どれほどお元気であっても命の炎が燃え尽きるのはほんとうに早いものだということを今更ながらおもいしらされました。

本堂で座禅するときにフォーレのレクイエムを聴きながらだとすうっとできるんですよとわらわれていました。ヴィエトナムの僧侶と対話されたときもお互い臨済禅であるということがわかって、その系譜を一生懸命に調べていらっしゃっいました。バングラデシュのダンスをお寺でしたときもにこにことわらっていらっしゃいました。いろんな人の意見をとりあえずすべて聞かれるその姿勢におどろいたものです。どれだけ大勢の人がすくわれたことか。

そんな僧侶の葬儀だから大勢のひとがこれられるだろうとおもいきや、ご本人の意志を尊重されて、連絡を極力抑えられた結果のお葬儀でした。生前にいわれたそうです。しらないうちに「あれあのひとどうしたの?」といわれるような逝き方が理想だな、と。突然の別れに悲しんでもいられないご家族の傍らで、ほほえんでいらっしゃるようなお姿に合掌しかできませんでした。

モーツアルトの250年目の誕生日にいくなんて。おしゃれで粋で、音楽を愛しユーモアをもたれた僧侶になんてふさわしいんでしょうか。ねえ梁山さん。またいつかお浄土でおめにかかりましょう。 南無阿弥陀仏

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧